対策1:基本的な考え方

  1. 想像できる最悪の事態に対し、被害を最小にするよう努める
  2. 安心・安全を期待しない
  3. 油断しない

1.想像できる最悪の事態に対し、被害を最小にするよう努める

ストーカー事案における最悪な事態というのは死です。
あなたやあなたの関係者の死が考えられます。もちろんながら、ストーカーによって殺されるという意味です。

ですから、殺されないように何かしらの対策を取らなければならないということになります。

の次に考えられる被害は、怪我や財産の損壊です。これも、何かしらの対応策を練らねばなりません。

環境によってさまざまな事態が想像できるので、あなたの場合には、どんなことが起こりうるのかを次から次へと思い浮かべてください。

2.安全・安心を期待しない

震度6でも大丈夫だ、大津波は100年に一度だ、原発は安全だ……。

これらを思い浮かべれば、安全を期待しないほうが正しいと理解できるはずです。危機の評価を軽く見積もったうえで、「安全である」と宣言してもしょうがないのです。

いまだに安全神話を信じているという人は、バカであるとしか言いようがないのですが、安全神話を信じていないとしても、いくらかの安全を期待する人が多いのが問題です。

交通に関して例を挙げると、一時停止を無視して道路に飛び出したり、駐車場から車道に出る際に左側を一切見なかったりするドライバーが存在します。
道路を通行しているのは自動車だけと思い込んでいるためか、カーブミラーに写る自転車を無視していたり、歩道を通行している歩行者を無視していたりするのです。
歩行者や自転車側がこの事実を考えず、(自分がその道を通るとき、)側道などから出てくる自動車が必ず止まるものだと思って行動するのは、危険です。自動車が止まるから安全だ、と思い込んではいけないのです。

このことは、ストーカーに関しても言えるのです。
自分のストーカーは、テレビで見るような危ない人ではないと思うから、生命・身体に危害を与えてこないだろうから安全だ、と思い込んではいけないのです。
これが、自分のよく知っている人物、たとえば元交際相手であっても、そのひとの全てを知りうることは絶対にできないのですから、思い込みをしてはいけません。

3.油断しない

油断しないとは、最後の最後まで気を抜かないようにという意味です。

お巡りさんや探偵が「怪しい人物はいませんでした」と言っても、実際はいるかもしれない。ストーカーと交渉できて「もうしません」と約束しても、気が変わるかもしれません。尾行をまいたと思っていても、実はもう一人尾行しているのかもしれない。
自分のマンションにたどり着いたからといっても、エレベーターに潜んでいるかもしれない。やっと玄関にたどり着いたといっても、鍵を開けているその背後に立っているかもしれない。盗聴器を見つけて撤去したからといって、もう一個盗聴器があるかもしれない。

ちょっと怖い例をいくつか用意しましたが、実際にいろいろな事がありえます。いろんなことに備えられるように正しい知識をもち、それが起こるかもしれないモノだと常に想像できるようになる必要があります。

対策2:考え方を変える

  1. 妄想する
  2. 偏見を捨てる
  3. 野生の勘を信じる

4.妄想する

ストーカーに妄想させるばっかりではいけません。対抗してこっちも妄想するのです!
・・・と、冗談はさておき、ストーカーの行動を推測する=妄想する、ということが重要です。

妄想はパニックを緩和させる

人間の脳は、突然体験する初めての出来事にパニックを起こすといわれています。
もしも、突然、あなたがストーカーに襲われたら、冷静に対応できると思いますか。おそらくパニックを起こして冷静な行動が取れないのではないのでしょうか。

そこで重要なのが、すでに体験していることなのです。
そうは言っても、ストーカーに襲われることを体験する、という無理難題はどうしようもありません。疑似体験をしようにもそんなことを協力してくれる団体や組織がありませんし、友人たちにお願いするのも厳しいと思います。

ここで面白い話があります。
脳というのは賢いようでバカな面があるらしく、頭の中で描いただけでも、実際に体験したと捉えてしまうというのです。この脳の仕組みを活用しているのが、アスリートたちが行うイメージトレーニングです。彼らはこれによって、本番で最大の能力を発揮できるようにしているといわれています。

これをストーカー対策に応用すると、ストーカーに襲われる場面を想像しておけば、(想像していない時と比べると)とっさの時に回避行動が取れる可能性が高まります。しかし、適当に想像したのではいけません。重要なのは、細かいところまで想像する、いろんな場面を想像する=妄想することなのです。
これが絶対有効であるとは言い切れませんが……。

ストーカーになる

それでは、ストーカーに襲われる場面を妄想するには、どうすればいいかと言えば、ストーカー目線になるということです。いつスキが生じているか、を見極めることができればよいのです。

しかしながら、犯罪とは無縁の暮らしをしてきた人ならば、極めて難しい考え方かもしれません。自分にはストーカー目線で考えられないという場合には、探偵だとか友人などに自分を尾行させて、どこにスキがあるのか調べる方法でも構いません。

上では、ストーカーになって自分を襲う場面を妄想することを勧めましたが、もうひとつ、妄想せばなりません。なぜ、ストーカーがつきまとい行為などを行ったのか、です。

日本におけるストーカー事案は、別れ話のもつれが原因であることが多く、そのストーカー被害者の方は、なぜか、自分に非がないと思い込んでいる事が多いのです。
自分の言動を振り返り、もしも自分が相手(=ストーカーになった人)だったら、それらを好意的に受け止めるのであろうか、などをよく考えることが必要なのです。

5.偏見を捨てる

偏見は、物事の解決をこじらせたり、間違った結果に導いたりと厄介なモノ以外の何物でもありません。とにかく偏見を捨ててください。

正常な被害者と、異常な加害者

何かしらの犯罪が起こると、私たちは無意識に、『加害者は異常』で『被害者は正常』だった、と思ってしまいます。確かに、罪を犯すということは、そうでない人にとっては異常なことでしょう。しかしながら、その背景を考えると決して異常であるとは言えないことも少なくありません。

例えば、あなたにだって殴ってやりたいような腹が立つ相手の一人や二人はいるのではないのでしょうか。
あなたが怒りを感じたのは、相手の非常識な何かが原因ではなかったのでしょうか。もしその非常識に激昂して手を出していたとしたら、その光景を見た人の目には、あなたが加害者で相手が被害者と写るはずです。傍観者にとっては、あなたが異常者です。

あなたが手を出したのは、怒りをコントロールできなかったので異常とよばれても仕方がありません。しかしながら、その原因となるものに怒りを感じたことは正常であるはずです。

こんなふうに一部が正常で一部が異常である状態の人であっても、加害者になってしまうとなぜか『異常者というひとつのモノ』に思われてしまうことがあります。

さて、それでは、ストーカーはというと異常なのでしょうか。
その背景がわからない以上、異常であるとは言い切ることができないでしょう。ですから、ストーカーは異常であるという偏見を捨てて、(まずは、)普通の人であると考えることが大切です。
(もちろんながら、例えば、妄想に取り憑かれたストーカーも存在することでしょうから、異常とよべるストーカーがいることは否定しません。)

普通の犯罪者と、異常な犯罪者

何かしらの犯罪が起きると、その犯人を『犯罪者というひとつのモノ』いうひと括りのものとして見てしまう傾向があります。もちろん、罪を犯した人なのだからひと括りにするのは当然ですが、ここでいうのは、『道筋が違うのにもかかわらず目的地が同じならば同じ旅行である』としてしまうといった感じのことを意味しています。

たとえば、“スクーターを使ったひったくり犯”の犯人像と言えば、『10代から20代の男性』を想像してしまうのではないのでしょうか。おそらく過去の出来事(ニュースや新聞など)から導かれたものでしょうけれども、なぜそれ以外の人を除外してしまったのかが不思議です。
また同時に、“スクーターを使ったひったくり犯”なら、『カバンなどの荷物をひったくるだけ』と思いませんでしたか。“バットや金属パイプで殴ってからひったくる”事件も存在していますが、それを思い浮かべた人は少ないかと思います。(一般的には、ひったくりとは呼ばないかもしれませんが……。)

どうして、そんなふうに考えてしまうかというと、知らないうちにプロファイリングを行っているからなのです。そこまでは別に問題ないのですが、多数派は普通である、少数派は異常である、と勝手に決めつけて、少数派を排除してしまうことが問題なのです。これもすでに起きたことに当てはめる程度なら、まだよいのですが、これから先に起きるかもしれないことにも当てはめてしまうから大問題なのです。

それでは、ストーカーはといえば、どうなのかを考えてみましょう。
『普通のストーカー』のイメージというと、しつこいメール、無言電話、盗聴、つきまとい、汚物をドアノブにかける、突然ナイフを振りかざして襲ってくる…などでしょうか。
このようにストーカーの場合は突然襲ってくるというイメージがある人が多いようなので、一応は危険であると認識しているかもしれません。このことはよいのですが、突然襲ってくることを前提に考えてしまい、それを避けるため引越ししてストーカーの怒りを買う場合があるということを知っておく必要があります。
(それまでおとなしかったストーカーであっても、連絡手段が断たれたことにより、凶暴化し危険な行為におよぶことがある。)

本やテレビで知っている普通のストーカーと違い、何ら危険のない人から殺害を計画的に試みている人など、ありとあらゆるタイプのストーカーがいる可能性を忘れないでください。

6.野生の勘を信じる

危険に関する野生の勘は信じましょう。

人を見かけで判断する

さきほど、偏見を捨てろ、と言いましたが、人を見かけで判断することが役に立つことがあるのです。

特定の見た目の人間に対して苦手意識が働くことがありますが、「オトナなんだから人を見かけで判断しない」なんて言って自分を律し、失敗した経験がありませんか。

また、(人によって感じ方は違うとは思いますが、)意外と『人を見かけで判断する』ことが正しかったことが多いのではないのでしょうか。特に、自分の身体や感情に関係する問題では『人を見かけで判断する』ことが正しかったことが多いのではないのでしょうか。

生物としての自分を守る本能は、人間であろうと働いていると考えることはさほどおかしくはないでしょう。
ですから、見た目から危険な何かを感じ取ったら、その野生の勘に素直にしたがって危険を避けるよう心がけましょう。(仮に、その勘がはずれて、正反対の人物だったとしても、損はするかも知れないけれど、自分が死ぬことと比べればマシですよ。)

嫌な感じはなるべく避ける

その他の場面でも同じです。
なにか嫌な感じがした場合には、道を変えたり、お店を変えたり、乗車位置を変えたりなど、簡単に変更できるものは積極的に取り組んで、未知の害を避けましょう。
ただし、道を変える場合には安全が確保できるよう努めることが肝心です。

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